はじめに:なぜ「古筆」を臨書するのか?
かな書道を学ぶうえで、「古筆の臨書」は避けて通れない道です。
美しい仮名文字にあふれた高野切や和漢朗詠集などの古筆は、単なる書の手本ではなく、書の本質や文化的教養を内包する“生きた教材”です。
現代の練習帳では得られない筆遣いや余白の感覚、墨の濃淡、そして“気”のようなものまでを感じ取るためには、古筆に学ぶことがもっとも近道となるのです。
古筆とは何か?──書の“原点”と向き合う
「古筆」とは、主に平安〜鎌倉時代に書かれた仮名の名筆を指します。
たとえば:
- 高野切第一種(伝 藤原行成)
- 寸松庵色紙(藤原定家系)
- 関戸本古今集(伝 藤原佐理)
- 和漢朗詠集(伝 藤原行成など)
- 粘葉本和漢朗詠集
などが代表例で、それぞれが異なる筆意・流れ・文字構成を持ち、臨書することで多様な書風を体得できます。
古筆臨書の魅力①:見る力が養われる
古筆を臨書するということは、単に「書き写す」ことではありません。
本質は「観察すること」にあります。
- 一文字一文字の点画の始まりと終わり
- 字と字の“間”の取り方
- 墨の濃淡やかすれから伝わる筆圧や速度
- 行全体の流れとリズム
これらを丹念に“観る”ことで、目と脳と手のすべてが鍛えられていきます。これは「目習い」の力であり、書の感性を磨く基礎となります。
古筆臨書の魅力②:かな特有の「間」や「余情」に触れる
仮名書道では、線を引くだけでは表現しきれない「余情(よじょう)」があります。
- 線の呼吸
- 空白の演出
- 一行のリズムの中にある“間(ま)”
古筆には、こうした見えない美しさが凝縮されています。とくに高野切第三種などは、文字そのものより全体の気韻が重視されており、「書く」という行為における“空間芸術”として臨む必要があります。
古筆臨書の魅力③:精神的集中と静寂の訓練
古筆を前にすると、自然と呼吸が整い、心が静まることがあります。
臨書には、
- 正確な再現力
- 繊細な集中力
- 無心に近い精神状態
が求められます。
これは、書道が単なる技術ではなく「道(どう)」であるという所以であり、古筆臨書は“心を整える稽古”でもあるのです。
臨書の手順と心構え:実践編
- 手本は原寸大で見る
原本の複製であっても、できるだけ原寸大の写真資料を使いましょう。
縮小された教本では、筆圧や間の感覚が狂ってしまいます。 - トレースではなく“感じて”写す
点画をなぞるだけでは古筆は再現できません。
筆を入れる角度、リズム、呼吸などを内面から再現する意識が大切です。 - 一文字ずつでなく“一行”で捉える
点画をなぞるだけでは古筆は再現できません。
筆を入れる角度、リズム、呼吸などを内面から再現する意識が大切です。 - 書く前に、よく「見る」
一日一臨でも、最初の15分は“鑑賞”に当ててください。
その「観る時間」が、最終的に書線に反映されます。
よくある誤解と注意点
- 古筆をマネしても“うまく”ならない?
→ 技術的“うまさ”ではなく、書の本質に迫るための訓練です。 - 創作と混同してしまう
→ 古筆臨書は創作の基礎作り。創作の前に“骨格”を学びます。 - 同じものばかり書くと飽きる?
→ 繰り返しの中にしか見えないものがあるのが、古筆の醍醐味です。
まとめ:古筆とともに書を歩む
古筆臨書は、表面だけをなぞる写経的作業ではなく、先人の“息づかい”に耳を傾け、自らの手で再現する精神の対話です。
仮名の美しさ、線のかすれ、間の取り方――
そのすべてを自分の中に取り込むことで、やがてあなた自身の書風が芽吹いていきます。
古筆は、上達のための最短距離ではなく、最も深い学びの道です。
その道を、あなたも今日から一歩ずつ歩んでみませんか?
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