茶室における掛物の役割
掛物とは、東洋画や書を布や紙で表具したもので、一般的には掛け軸とも呼ばれています。茶道や茶の湯の道具としては掛物と呼ばれ、茶の湯の根底にある禅の思想やおもてなしの心を表現する重要な道具の一つであり、茶室において特に重要な役割を果たしています。江戸時代の書物である「南方録」において、掛物が茶会のすべての道具組の中で亭主のもてなしの心を最も反映すべきものとされています。茶室における掛物は、ただの装飾品ではなく、茶会の雰囲気や主催者の心意気を表す象徴として位置づけられています。
掛物の歴史的背景と発展
室町時代には、茶会は広い書院で開かれ、唐物の絵画や対幅などが使用されていました。しかし、侘茶が広まるにつれて、小間での茶会が重視されるようになり、その影響で掛物の大きさや内容も変化していきました小間の茶室の床の間は、書院よりも狭く、対幅を掛けるのには向かないため、対幅のうち一幅のみがかけられたり、小字数の墨蹟がかけられるようになっていった。どのような掛物を掛けるかによって、茶室の雰囲気や趣向が表現され、禅の精神や侘びの美意識が反映されるようになりました。
書の掛物のはじまり
茶会の変遷は、茶会記でさかのぼることができます。茶会記は、茶会を主催した亭主や参加者が記録した備忘録であり、茶の湯の歴史や文化を伝える重要な資料です。茶会の日時や場所だけでなく、道具立てや献立、参加者の名前などが記され、茶の湯の世界を垣間見ることができます。茶会記の記録によって、その茶会でどのような掛物が掛けられたのか知ることができます。
墨蹟が茶席の床に掛けられた最も古い記録は、1537年の京都の十四屋宗伍 (じゅうしや そうご) の茶会です。十四屋宗伍は、村田珠光の弟子の茶人です。彼が掛けたのは、中国禅僧の北礀居簡 (ほっかん きょかん) の墨蹟でした。これ以降、墨蹟は茶室の掛物として広がりを見せ、各種の茶会記類で頻繁に記録されていきます。
虚堂智愚の墨蹟「破れ虚堂」
墨蹟では、茶道と縁の深い大徳寺で、中国禅僧 虚堂智愚 (きどうちぐ) の墨蹟が尊重されました。虚堂智愚は、大徳寺を開いた宗峰妙超 (しゅほうみょうちょう) の師である南浦紹明 (なんぽじょうみょう) に、中国で直接指導した僧であり、大徳寺に最も近い中国僧でした。
「虚堂智愚墨蹟 法語」という一幅は、桃山時代に何度も茶会記に記載されています。これは、現在東京国立博物館に所蔵されている国宝です。俗に「破れ虚堂」と呼ばれています。
「破れ虚堂」という俗称は、この墨蹟が刀で破られたことがあるというエピソードに基づいています。大文字屋という豪商が桃山時代からこの墨蹟を所有していたのですが、江戸時代の中ごろに豪商の店の者が騒動を起こして蔵に閉じこもり、その蔵にあったこの墨蹟を刀で破ったと伝えられています。
「破れ虚堂」の表具は、江戸時代に替えられましたが、古い方の表具も残っています。古い表具は、茶色をベースにしていてやや落ち着いた趣である一方、現在の表具は、水色と緑の間の深い色味でやや華やかに見えます。
一行書、和歌、書状への変遷
やがて中国禅僧の掛物だけでなく、日本禅僧の墨蹟もかけられるようになっていきました。日本の禅僧の書が書けられるようになると、暗かった当時の茶室内で映える大き目の文字で、内容が分かりやすく亭主のもてなしの意図が伝わりやすい短文の一行書や、小字数の横物が使われるようになりました。
茶会記類によると、江戸時代になると特に一行書が頻繁に用いられるようになります。桃山時代までの墨蹟は長文が多く、墨蹟の内容を説明する茶会記も少ないので、内容よりも筆者を重視していたのでしょう。
書の掛物が広まると、日本の和歌も茶会で掛けられるようになります。初めは連歌師か連歌に関わる人物の掛物が中心でした。最初に掛けられた和歌は、藤原定家筆とされる「小倉色紙」です。千利休の連歌の師であった竹野紹鴎の席で掛けられました。「小倉色紙」は、平安時代の古筆と比較すると文字が大きく、茶席で映えたことでしょう。定家の歌論は、茶の湯の精神と通ずる部分があることもあり、定家筆とされる「小倉色紙」が選ばれたと考えられます。
その後は、書状も茶会の掛物として使われるようになります。時代を進むと茶会の内容を深めるためにも掛けられるようになっていきました。これらは茶会の主役である本籍ではなく、寄付 (よりつき)という茶席に入る前の部屋などに使われることが多く、本席の趣旨を暗示させる演出などに使われるようになりました。
現代の掛物の選択と意義
現代では、茶具組に合わせて掛物を選択することもありますが、掛物に合わせて道具を組み合わせ、茶席の雰囲気づくりを行うことが一般的です。異なる形や材質の道具を調和させる美意識は、日本独特のものとして継承されています。掛物の書や墨蹟の内容によって、茶席の雰囲気や主催者の心意気がより深く伝わることで、茶の湯の魅力がさらに引き立ちます。
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