空海: 三筆、日本書道の祖、弘法大師

空海とは?

空海は、三筆のひとりであり、日本に密教をもたらした真言宗の開祖です。空海の書道への貢献について紹介します。

空海の生涯

空海の誕生

空海は774年6月15日、香川の善通寺で生まれました。幼少期は「真魚(まお)」と呼ばれていました。幼い頃から聡明で、桓武天皇の皇子の教育係であった叔父から詩、漢語、儒教を学びました。15歳の時、叔父の勧めで京に上り、学問に打ちこみました。18歳になると、空海は大学に入学しました。空海は困っている人々を助けたいと考えていましたが、入学した大学は官僚養成のための大学であり、空海が学びたいことではありませんでした。困っている人々を助けるためには仏教が重要だと考えた空海は、大学を中退して僧侶の道を歩むことを決意したのでした。

総本山善通寺
「総本山善通寺」の情報は「うどん県旅ネット」で。総本山善通寺は、弘法大師空海が御誕生された地であり、四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。また京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめて...
観世音寺(福岡県太宰府市) – 太宰府の歴史を伝える仏像群と日本最古の梵鐘
福岡県太宰府市の観世音寺は天智天皇発願の寺で国宝の梵鐘と5mを超える仏像群で知られている。創建当初は戒壇が設置され僧の受戒を担っていた。紫式部の源氏物語では観音信仰の寺として登場した。
観世音寺

大学中退後、空海は四国や和歌山で修行したり、奈良の久米寺で仏教を学んだりしました。奈良、徳島、四国で学び、20歳で受戒して僧侶となりました。22歳になると空海と改名します。空海という名前の由来は、修行を終えて洞窟から出たとき、空と海に心を打たれて「空海」と名乗ったといわれています。高知県室戸岬の御厨人(みくろど)が、その時に空海が修行した洞窟です。

久米寺|橿原市公式ホームページ
(くめでら)
はじめてのお遍路
四国八十八ヶ所霊場の札所のうち、香川県には第66番札所から第88番札所の23ヶ寺があります。1番から巡る「順打ち」では結願を迎え、88番から巡る「逆打ち」では発願する、いわば「あ・うん(阿吽)」の地。願いを胸に抱いて、弘法大師のふるさとでも...

遣唐使:空海の唐への旅

空海は修行を続け、奈良の久米寺で密教経典「大日経」に出会います。密教の教えは経典を読むだけでは理解できないと考え、唐への渡航の機会を求めるようになりました。

30歳の時、桓武天皇の命により遣唐使の一人として唐に渡ることができました。804年、長崎の田浦から、のちに日本で天台宗を開く最澄や、三筆のひとりとなる橘逸勢と同じ船に乗って、唐に渡りました。

唐に到着すると、密教を理解するためにサンスクリット語を学び、密教を猛勉強しました。約半年後、唐の国師で真言密教を正式に継承する僧「恵果 (えか、けいか)」に会いに行きます。恵果は空海を一目で認め、弟子にして密教のすべてを伝授しました。その中には曼荼羅の秘法も含まれていました。恵果が空海を認めたのは、わずか3カ月という短い期間でした。

空海が学んだ仏教寺院は、中国の西安にある青龍寺です。

青龍寺 クチコミ・アクセス・営業時間|西安
青龍寺を実際に訪れた旅行者が徹底評価!日本最大級の旅行クチコミサイト フォートラベルで青龍寺や他の観光施設の見どころをチェック! 青龍寺は西安で6位の寺院・教会です。

唐からの帰国 真言宗の開宗

入唐から約2年後の806年、空海は日本に帰国しました。彼は唐から「王羲之 (おうぎし)」が活躍した晋の時代の膨大な仏具、仏典、書を日本に持ち帰りました。帰国後、空海は大宰府の観世音寺に2年ほど滞在し、809年に京都の高雄山寺 (現在の神護寺) に入りました。

弘法大師霊場 遺迹本山 高雄山神護寺ホームページ
京都高雄山神護寺のホームページです

空海は、「大日経」と「金剛頂経」からなる両部密教を、日本に持ち帰りましたが、旧守派といわれる南部仏教の高僧に阻まれて布教に苦戦しました。先に部分的な密教を持ち帰った最澄も、同様に布教に苦戦しました。最澄は、部分的な密教しか持ち帰っていなかったので、空海に経典を借してほしいと手紙を書きました。その返信を空海が書いたものが、今日「風信帖 (ふうしんじょう)」と呼ばれる書簡です。

806年または810年に、空海は真言宗を開きました。810年、嵯峨天皇から真言密教の布教を正式に許可され、816年には嵯峨天皇の許可を得て高野山に金剛峯寺を建立しました。828年、空海は京都に日本初の私塾「綜芸種智院 (しゅげいしゅちいん)」を創設しました。これは平安時代初期の庶民のための教育機関です。当時の大学や国立大学は、入学資格に厳しい制限があり、庶民が高等教育を受けることは難しかったです。そのような時代に、空海は綜芸種智院を設立し、庶民に教育を受ける機会を提供しました。

高野山真言宗 総本山金剛峯寺
高野山真言宗 総本山金剛峯寺の公式ウェブサイトです。令和5年(2023年)は宗祖弘法大師空海御生誕1250年の記念するべき年です

835年、空海は62歳で入滅しました。83年後の918年、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(しごう)が贈られました。

空海の書道への貢献

空海は、遣唐使として唐に滞在しているときに書道も学びました。「弘法筆を選ばず」ということわざがありますが、実際には空海は、書家は常に良い筆を使わなければならず、文字や書体によって筆を変えなければならないと教えていました。

空海が唐に滞在していた当時には、それまで主流であった王羲之の書風に対して、顔真卿が新しい書風を確立しており、その新しい書風が流行していました。空海は、その新しい書風を学んでいます。

空海は書道の研究家でもあり、彼の書いた「性霊集 (せいりょうしゅう)」には書道に関する多くの有益な情報が含まれています。また、現存する日本最古の漢字辞典である「篆隷万象名義 (てんれいばんしょうれきめい)」も彼の手によるものです。

「篆隷万象名義」は京都の高山寺にある国宝です。

高山寺

空海の書風

王羲之 (おうぎし) や顔真卿 (がんしんけい) の書風に影響を受けた空海は、「楷書」だけでなく、「行書」や「草書」も巧みに書くことができました。さらには「篆書」「隷書」も巧みに書くことができました。

空海が入唐した頃、唐では顔真卿の書を中心に新しい書風が流行していました。空海もまたこの新しい書風を学び、顔真卿をはじめとする唐の書風に影響を受けています。「灌頂歴名 (かんじょうれきめい)」には、顔真卿の「祭姪文稿 (さいめいぶんこう)」に似た部分があります。

一方で空海は王羲之の書も研究しており、彼の書風は顔真卿など、唐代の多様な書風や表現に通じていましたが、その前提には王羲之の書法があったと考えられます。代表作である「風信帖 (ふうしんじょう)」にも、王羲之の書法が根底にあることが見受けられます。

空海の作品

風信帖 (ふうしんじょう)、忽披帖 (こっぴじょう)、忽恵帖 (こっけいじょう)

空海の書の代表作。空海と同じ船で唐に渡った最澄に宛てた手紙です。もともとは、5通の書状が存在していたといわれていますが、現存しているのは、風信帖 (ふうしんじょう)、忽披帖 (こっぴじょう)、忽恵帖 (こっけいじょう) の3通のみです。1通は盗難に合い、もう1通は豊臣秀次の手に渡ったとされています。

それぞれの書簡の名前の由来は、冒頭の2文字です。例えば、「風信」の2文字で始まることから、「風信帖」と呼ばれています。風信帖 (ふうしんじょう)、忽披帖 (こっぴじょう)、忽恵帖 (こっけいじょう) の3通をまとめて、「風信帖」と呼ぶこともあります。これらの書簡は、風信帖は京都の東寺にありますが、普段は公開されていません。

[風信帖]
最澄は、彼が開いた天台宗の基本を、空海に知ってほしいと、「摩訶止観 (まかしかん)」を送ってきます。風信帖には、それに対してのお礼が書かれています。

[忽披帖]
最澄が、銘香と藤原冬嗣からの書状のを送ってくれたことへの、感謝が記載されています。また最澄は、彼が天台宗を開いた比叡山延暦寺へ、空海を招いたが、空海は時間がなくて行けないことを忽披帖の中で謝っています。

[忽恵帖]
再度、最澄から比叡山延暦寺を訪れてほしいと促されましたが、空海は弟子と自身の修法を理由に、9月10日まで待ってほしいと、忽恵帖で返事をしました。最澄が、密教の最新情報を早く得たいと考えた一方で、空海は身体を使った修行の実践を重視し、書物や経典のみに頼る修法を忌避しました。

東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺
真言宗総本山 東寺〔教王護国寺〕の公式サイトです。境内・歴史の紹介、特別公開のお知らせ。法要や拝観のご案内。

灌頂歴名(かんじょうれきめい)

書風は風信帖と最も似ています。灌頂とは、僧侶の頭頂に水をかける儀式のことです。

この作品は京都国立博物館に寄託されています。毎年5月1日から5日まで神護寺で行われる虫干しの際には、神護寺で公開されます。

京都国立博物館
京都国立博物館の公式ウェブサイトです。京博の展示・イベント情報やご利用案内、ご自宅で楽しめるコンテンツ等を紹介しています。

三十帖策士(さんじゅうじょうさっし)

唐代に書かれた楷書と草書の書です。真言宗の秘伝書である空海の写本です。

京都仁和寺に伝わっています。

世界遺産 真言宗御室派総本山 仁和寺
真言宗御室派総本山 仁和寺の公式ウェブサイトです。888年に創建、かつて門跡寺院として栄えた、格式ある寺院・仁和寺。所蔵の国宝・重要文化財や御室桜などの境内のみどころ、仁和寺でできる写経や宿泊など数々の体験についてご案内しています。

その他の作品

  • 座右銘 (ざゆうのめい)
  • 金剛般若経開題残巻 (こんごうはんにゃきょうかいだいざんかん)
  • 大日経疏要文記 (だいにちきょうそようもんき)

まとめ

空海の書と仏教思想は、今日でも多くの人々に愛されています。空海の書と仏教への貢献は、日本の書と仏教の歴史を語る上で欠かすことのできないものです。

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